【総評】最高にハイレベルだった世界グレコ選手権




 10月2〜5日にパリの郊外のクレテイユで行なわれたグレコローマンの世界選手権は、レスリングのレベルが最高といえた大会だったと言ってもおかしくないと思います。全試合の技術的にも、戦いぶりでも、決勝トーナメントの1回戦の一部の試合以外は、ほとんどの試合が印象的な内容でした。

 来年8月のアテネ五輪の第一次予選となったこの大会は、62ヶ国から281選手が参加しました。これはフリーの61ヶ国247選手を上回っています。その中の15ヶ国がメダルを獲得し、33ヶ国が10位以内の入賞選手を輩出しました。五輪開催地のギリシャのほかに32ヶ国がオリンピック出場権を取ったことになります。

 ロシアは2階級を優勝しましたが、4階級で五輪出場資格を逃し、国別対抗得点は2位に終わりました。団体優勝はグルジアで、フリースタイルに続いて金メダルと銅メダルを取り、4階級でオリンピック切符を獲得しました。五輪出場資格が一番多いのが団体3位のウクライナで、メダルは1個(銀メダル)にとどまりましたが、5階級で10位以内に入って五輪へのキップを手にしました。

 日本は74kg級の永田克彦(新日本プロレス職)が10位に入ってアテネ五輪の出場権を獲得しましたが、他の選手は期待に応えられず、来年2・3月の第2次予選に臨むことになりました。

 永田選手はシドニー五輪で銀メダルを獲得しましたが、昨年までに出場した5度の世界選手権の最高は「13位」です。今回は昨年6位のミカル・ヤボルスキ(ポーランド)とリトアニアの若きホープのアーチュー・スタンケビッチを破って、決勝トーナメントに進みました。そこで待っていたのは97年の世界チャンピオンのマルコ・イルハンヌクセラ(フィンランド)で、8−12で負けましたが、8点を取ったことで10位となり、アテネ五輪のキップに手が届きました。

 この大会で目立った現象の一つは、決勝トーナメントの「ポイント・インフレ」と言えると思います。準々決勝(ベスト8)まで進めば文句なしにアテネ五輪の出場になりますが、決勝トーナメント1回戦で負けた場合、負けた選手の中でのポイントの高い2人もアテネ五輪に行けることになります。

 選手は勝つことよりもポイントをどんどん取るような試合をします。またリードしている選手が、相手の選手と親しい場合など、ポイントをやるような試合もあり、国際レスリング連盟の役員は、ある試合の途中で2人のレスラーを呼んで、こうした“馴れ合い試合”を注意しました。永田選手とイルハンヌクセラは必死でやったので、そういう注意必要はありませんでした。

 永田の出場した74kg級は、釜山アジア大会の優勝のキム・ジンスー(韓国)がこのイルハンヌクセラを準々決勝で破り、最後は3位に入りました。永田がシドニー五輪で破ったのアレクシー・グルシュコフ(ロシア)が初優勝しました。

 また、オリンピック2連覇で、シドニー五輪の決勝で永田を破ったフィリベルト・アスクイ(キューバ)は予選グループで00年世界ジュニア・チャンピオンのウラジーミル・シャトスキ(ウクライナ)に破れ17位どまり。五輪出場資格を取れませんでした。

イェルリカヤに惜敗の松本慎吾

 この夏、2ケ月にわたるヨーロッパ修行をやった84kg級の松本慎吾(一宮運輸)は、強くなった防御を見せましたが、初戦の相手は昨年と同じオリンピックV2のハムザ・イェルリカヤ(トルコ)で、惜敗し20位に終わってしまいました。イェルリカヤに対して、最初のパーテールポジションをうまく守り、2度目は俵返しを防御して両選手が倒れて、3−2か2−2か微妙な判定となりました。ビデオチェックの結果、イェルリカヤの2点だけという日本陣営には納得できない判定となりました。

 松本は第2ピリオドでパッシブ2回を取ってチャンスがありましたが、ともに返せず、昨年負けたリベンジはなりませんでした。この階級は、イェルリカヤが7位に終わり、グルジアからイスラエルに移住したのゴチャ・トシチアシビリが同国初の世界チャンピオンになりました。

 第2次予選では、シドニー五輪5位のラゾ・メンデス(キューバ)、03年欧州選手権優勝のアレクセイ・ミシン(ロシア)と同2位のレフォン・ゲハミャン(アルメニア)、昨年世界3位のモハメド・アブデル・ファター(エジプト)といった強豪がまだ残っています。

 55kgの豊田雅俊(警視庁)は世界選手権に初出場ですが、8月にポーランドのピトライスニスキ国際大会で優勝し期待されていました。初戦はテロ・カタジスト (フィンランド)に先制される悪い出足でしたが、逆転で勝つことができました。

 第2試合はアジア3位のイム・ダオウォン(韓国)に対して、最初にパッシブを取りましたが、イムにエスケープ・ポイントを取られました。そして、パーテールポジションからシム・クォンホ(韓国=五輪V2)ばりのハイ・ガット・レンチで2点を取られ、ニアフォールとボーナス・ポイントで勝負が決まりました。豊田は第2ピリオドで2度のパーテールのチャンスがありましたが、ポイントにはつなげられませんでした。
  
 イムは欧州3位のアレクサンダー・バクレンコ (ウクライナ)、欧州王者のマリアン・サンデュ (ルーマニア)、1999年世界チャンピオンのラスロ・リバス(キューバ)を連破して決勝へ進出。決勝はイムが最初のパーテールポジションのチャンスであのハイ・ガットの腕取り変化で5ポイントを取りました。韓国のセコンドは大喜びで、もう優勝決ったようにしましたが、ベテランのダリウス・ヤブロンスキ (ポーランド)は第2ピリオド、胴タックルなどで4−5に追いつき、後にローリングで6−5と逆転。30歳で初優勝を飾りました。

 豊田は冬の第2次予選で厳しい闘いをしいられることになりました。97年世界チャンピオンのエルカン・イルディス (トルコ)、01世界2位のブランドン・ポウルソン (米国)、アジアV2のアセット・イマンバエフ(カザフスタン)、欧州2位のロマン・アモヤン (アルメニア)、ロシア代表の誰かが残っています。

60kg級はナザリアンが2年連続優勝

 60kg級では、シドニー五輪で8位に入賞した期待の笹本睦(綜合警備保障)はがスイスのアロイス・ファスラーにテクニカルフォール勝ちでスタートしましたが、予選プールでの勝負は昨年のアジア大会の3位決定戦で勝ったヌルラン・カシェイガノフ (カザフスタン)でした。

 笹本は第1ピリオドのラスト40秒でリフトされて、後ろへ投げられて0−4とリードを許しました。第2ピリオドの2分11秒でやっとパッシブのコールをもらってリフトへ。相手のが脚へ触るペナルティをおかし、2−4へ追い上げました。ラスト15秒での再度の俵返しで1ポイントをもらいましたが、そこで試合終了。17位に終わってしまいました。

 この階級の決勝は、オリンピック2度優勝のアルメン・ナザリアン (ブルガリア)とロベルト・モンゾン(キューバ)で、ナザリアンが俵返しとローリングで6−2で勝ち、2年連続2度目の世界チャンピオンになりました。ナザリアンはこの大会では唯一のリピートチャンピオンでした。

 アテネ五輪のキップをまだ手にしていな強豪は、01年世界王者のディルショド・アリポフ (ウズベキスタン) と同2位のカレン・ムナチャカニャン (アルメニア)、アジア大会優勝のカン・キュンイル (韓国)、アジア選手権2位のアリ・アショカニ (イラン)、ロシアのニコライ・バラバンかルステム・マムベトフなどが挙げられます。

 66kg級では、3度目の出場の飯室雅規(自衛隊)が初勝利をマークしました。飯室は3回戦でルーマニアの若きイオナト・パナイトと対戦し、第1ピリオドでローリングを3度決められて0−5とリードをされましたが、第2ピリオドで一本背負いを決め、逆転フォールで勝ちました。

 1回戦ではドイツの37歳の大ベテランのヤニス・ザマンデュリディス(1990年世界選手権2位)相手に先制点を取りましたが、第1ピリオドのラスト5秒でリフトで投げられ、1−4となって敗れたのが響いて19位になりました。

 第2次予選にまわる強豪としては、96年アトランタ五輪金メダリストのリザード・ウォルニー(ポーランド)、99年63kg級世界チャンピオンのマヒダール・マヌキャン(カザフスタン)、アジア選手権優勝のパルビス・ゼイドバンド(イラン)、欧州3位のセルゲイ・カンタレフ(ロシア)などです。

120kg級にカレリンの後継者誕生!

 120kg級では、新星が生まれました。世界ジュニア選手権を2度制しているハッサン・バオエフ(ロシア)が、シドニー五輪決勝でアレクサンダー・カレリンを破ったルロン・ガードナー(米国)を一方的に下しました。その後、アジア王者のゲオルギ・ツルツミア(カザフスタンに4−2で勝ち、決勝ではハンガリーのミハリー・ディークバルドスに対してクリンチで2度ポイントを取って3−1で勝ち、カレリンのあとの米国の世界3連覇を止めて優勝しました。ディークバルドスは世界選手権の決勝に4度目の進出でしたが、4度とも敗れ2位。そのすべてが別の相手でした。

 日本の鈴木克彰(警視庁)は、コスティアンチィン・ストリザク(ウクライナ)とミンダウガス・ミズガイティス(リトアニア)のローリングを止められず、2−6と0−3で負けて24位に終わりました。

  第2次予選では、アトランタ五輪100kg級優勝のアンドレイ・ウロンスキ(ポーランド)、パンアメリカン選手権優勝のミリアン・ロペス(キューバ)、アジアの2位と3位のパク・ウー(韓国)とアリ・レザ・ガリビ(イラン)などがいます。

96kg級に納得できない判定あり

 大会のフィナーレとなった96kg級の決勝は、クラシックな「本質」対「スタイル」の試合でした。エジプトのカラム・ガベールは投げ、リフトなどは派手で、スタイルがよく、スキンヘッドで映画の「Mummy」の俳優と似ていて、ロック・スターのように人気あります。逆にスェーデンのマルンチン・リンドベリーはコンパクトな筋肉マンタイプ。6試合中、フォールとかテクニカルフォールはひとつもなく、4試合は3−0か3−1での判定勝ち。目立たないながらも勝ち進むタイプです。

 準決勝ではガベールが欧州チャンピオンのラマス・ノザーゼ(グルジア)にわずか43秒でテクニカルフォール勝ちするという圧倒的な攻撃レスリングで勝ち、一方のリンドベリーはシドニー五輪の銀メダリストダビッド・サルダーゼ(ウクライナ)に3−1で、自分のペースを守って勝ちました。

 そんな両者の対戦は、リンドベリーがパーテールポジションでしっかり守り、エスケープポイントを取ってガベールの攻撃をしのぎました。それから、パーテールポジションのチャンスにハイ・ガット・レンチをして3−0へ。リンドベリーは第2ピリオドでもグラウンドをしっかり守って勝ちました。

 ガベールは2年連続2位でした。しかし、負けても人気があることはレスリングにとっていいことだと思います、しかし、その人気が邪魔になることもあります。準々決勝では、その人気によって、おかしな判定があったからです。
 
 その試合では、ガベールが一昨年の世界チャンピオンのアレクサンダー・ベズルッキン(ロシア)を2−2からリフトして返しました。観客が大歓声をおくりましたが、チェアマンの内藤可三審判員(日本協会審判委員長)は、ガベールのクラッチが腰の下を巻いていたとしてポイントなしと示しました。

 観客のブーイングでビデオチェックが行われました。ビデオにはガベールのグリップが腰の下だったかどうかの判断は難しいでしたが、片方の脚が間違いなく場外にあり、ポイントはないだろうと思いますが、FILAのマリオ副会長は観客の反応に配慮したのでしょうか、「3点」を挙げました。試合は、この3点がきいて5−2で終わりました。

 観客は大喜びでしたが、このことは審判の権威を落とすことになり、もっと熱戦になるはず試合を邪魔にしたことになります。結果的にはレスリング・ファンの期待を裏切ったと考えてもいいと思います。

 この階級の日本代表の加藤賢三(自衛隊)は、日本選手の中の一番厳しいリーグでした。昨年2位のガベール、さらに同3位のアリ・モロフ(ブルガリア)と同ブロックだったのです。モロフに対してはローリングを2回を回されて0−3。ガベールにはテークダウンとローリングなどで5ポイントを取りましたが、結局5−17のテクニカルフォール負けでした。

 2・3月の第2次予選では、モロフ、昨年の世界選手権でガベールを15−11で破ったメフメット・オザル(トルコ)、一昨年2位のアーネスト・ペナ(キューバ)、アジア選手権で優勝したハン・タエヤン(韓国)らが残っています。(取材・文=ウィリアム・メイ)



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