【特集】「喜べない。挑戦者の気持ちを忘れない」…永田克彦




 “ポイント・インフレ”の中、永田克彦(新日本プロレス職)が負けた試合で取った8点がモノをいい、アテネ・オリンピック出場権を獲得−。シドニー五輪銀メダリストのメンツを守った。

 74kg級は40選手が出場し、各予選リーグを勝ち抜いた選手が13選手。決勝トーナメント予備戦は5試合行われ、負けた5選手のうち上位2選手が9、10位となって五輪出場資格を獲得することになった。負けるにしても、ポイントを取っての判定負けで、それもできるだけポイントを取っての負けが要求された。

 永田は予選リーグで、昨年世界6位のポーランド選手に対して積極的なレスリングを見せ3−1で判定勝ち。リトアニア選手に対して、開始30秒に飛び込んで首投げ一閃(いっせん)>第1ピリオド終了前にも再び飛び込み、首投げを成功して6−0。調子がよかっただけに、決勝トーナメント予備戦も、勝ってベスト8に入るつもりで臨んだ。

 しかし相手はシドニー五輪銅メダリストのマルコ・イルハンヌクセラ(フィンランド)。負けた時にそなえて、ポイントも気にしたのも当然だろう。「点数も計算して試合をしていました。とにかくポイントを取らないとならないので、がんがん飛ばしていきました。」と言う。

 今年の世界選手権で目立った現象の一つは、決勝トーナメント1回戦(予備戦)でのポイントが明暗を分けたこと。特に後半の3階級は、60kg級が11点と8点、96kg級も11点と8点と高得点での攻防だった。

 74kg級も、永田の前に負けた選手が7点、3点とポイントを挙げ、直前にアゼルバイジャンのビウガ・アサラノフが欧州チャンピオンのアレクセイ・グルショコフ(ロシア)に10点を取り、4点だった五輪への道が、8点へ上がった。

 永田はイルハンヌクセラに対して、開始1分ころ、一本背負いをミスして0−1。それからリフトされ、大きく後ろへ投げられて3+1点を取られて0−5になってしまう劣勢。この段階でオリンピックの資格は遠のいてしまった。

 しかし、イルハンヌクセラが再びリフトしようとしたところを永田がうまく体を入れ替えて1ポイント獲得。パーテールポジションのチャンスを得た永田は、すぐローリングして3−5へ。場外になり、もう1回のパーテールポジションのチャンスに、再びガットレンチを決めて5−5の同点。

 それでもイルハンヌクセラは、さすがにシドニー五輪76kg級銅メダリストの実力者。第1ピリオドのラスト30秒、胴タックルを取って、またバック投げへ。今度は大きく投げて5+1点を加えた。

 ルールでは、失点はいくらあっても問題にされない。取ったポイントを比べて順位が決まる。何点取られようとも、あと3点でオリンピックへ手が届く。永田は休けいでスタミナを回復させ、第2ピリオド開始のホイッスル直後、今大会でよく決めた「飛び込み首投げ」で勝負をかけた。これが見事に決まって3点を獲得。8点目を取り、この段階でアテネ五輪のキップをゲットした(ただしフォール負けすると、勝ち点が0になるので10位には入れない)。

 残る2分半はイルハンヌクセラに守られて逆転はならず、上位入賞は消えたものの、日本のチーム・リーダーとして最低限度のノルマは果たした。

 もちろん10位で喜んではいられない。「この大会は、内容よりも資格を取ることが大事な大会でした。目標は達成したのですが、全然喜んでいられないです。ゼロから、初心に返ってやりたいです」と永田。負けた直後に、五輪出場資格を取った喜びより、負けた悔しさが出てきたようだ。「オリンピックへ向けて、チャレンジャーの気持ちを忘れずに、鍛え直したいです。もう一回、メダルを取りたいですから」。新たな勝負が始まった。(取材・文=ビル・メイ、写真=保高幸子)




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