【特集】目標は北京五輪出場! タイの女子レスリングの発展に情熱を燃やす由井俊郎さん【2007年5月22日】








 5月8〜13日にキルギス・ビシュケクで行われたアジア選手権で、日本選手団には属さない1人の日本人指導者がマットサイドで活躍した。4月18日に、タイの女子選手の指導で単身バンコクへ渡った由井俊郎さん(近大OB)だ。ドーハ・アジア大会では初戦敗退だった48kg級のスニサ・クラハン選手に銀メダルを取らせるなど(左写真=由井コーチとクラハン選手)、コーチ就任1ヶ月にして上出来の結果を出した。「チーム(今回は4選手参加)は、一番上が21歳で、あとはジュニアの選手。これからです」と張り切っている。(関連記事 ⇒ クリック

 タイの女子レスリングの歴史は浅い。2000年4月に静岡・稲取で行われた「ジャパンクイーンズカップ2000」に3選手が参加しているが、その後空白がきで、再開したのは2004年ころ。同年5月に東京で行われたアジア選手権に5選手が参加したものの、実力は日本とは比べものにならないレベルだった。

 現在も競技人口はそう多くなく、「国全体なら20〜30人くらいはいるんじゃないですか?」とか。由井さんが教えているのはいわゆる“ナショナルチームの選手”。昔の社会主義国で言うステートアマで、レスリングの才能を見い出された10選手程度がバンコク郊外のトレーニング施設に集められ、レスリングをやりながら学校へ通っているという
(右写真=試合前のウォーミングアップで選手を指導する由井コーチ)

 今回のアジア選手権は「周りの実力を体で知ってもらうため」の参加であり、何が何でも結果を求めていたわけではなかった。それが、エースのクラハン選手が決勝まで進み銀メダルを手に。「くじ運ですよ」と謙そんするが、最初に感じた「練習に対しての姿勢がまじめ。これなら何とかなるだろう」という手ごたえは間違ってはいなかった。

 青年海外協力隊のメンバーとしてインドネシアで2年間暮らしたことのある由井さんだが、タイ語は全く話せない。まずは最低限度のタイ語のレスリングことばを覚え、あとは簡単な英語での指導だった。さらに日本語の「がぶり、くずし、落とし」という言葉と、その動きを教えたという。セコンドから出す指示
(左写真)は、タイ語、英語、日本語の混合。それでも選手はけっこう反応してくれるそうだ。

 「テクニックの覚えは早いが、パワーが弱い」と、アジアの選手が平均してかかえる課題の克服が今後の強化方針。クラハン選手をはじめ柔道からの転向選手が多いので、柔道技を生かしたスタイルを目指したいという。11月には東京で世界合宿が予定されているが、「その時は何選手かを連れて参加したい」と、日本レスリング界の力も借りて全力で強化に取り組む意向だ。

 インドネシアでの生活の経験があるだけに、東南アジアの生活には違和感はない。ホテル住まいの生活にそう大きな不便はなく、「レスリングの指導に行っていますからね。レスリングができ、寝るところがあって、食べるものがあれば十分です」と笑う。ホテルの近くにはネットカフェがあり、日本の状況はきちんとチェックすることができる。

 「女子の指導と聞いていたのに、男子もすることになったんですよ」と想定外の出来事に笑うが、男子はイランから指導者を招く計画があるそうで、近いうちに女子に専念することになりそうとのこと。

 「最低でも1選手、やはりクラハン
(右写真)を北京オリンピックへ出場させたい」と言う。そのためには、まず9月にアゼルバイジャンで行われる世界選手権で8位以内を目指すことになる。そこで失敗しても、2008年3月のアジア選手権があり、その後の2度の世界予選とチャンスが続くが、タイのレスリング協会との契約は今年12月まで。タイ協会から見込まれれば契約延長という話になるだろうが、妻を日本に残しての身としては、簡単には返事ができない状況のようだ。

 しかし、夫人もしっかり働いているので、当面の生活の心配はない(本人の日本での仕事は自営業)。乗りかかった船。日本レスリング界の力を世界に見せるためにも、夫人に理解してもらい、北京オリンピックのマットサイドで由井さんの姿を見たいと思うのは筆者だけではないだろう。

 まずは9月の世界選手権。タイの選手たちがどんなにたくましくなっているか、期待したい。

(取材・文=樋口郁夫)



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