【特集】かつての“レスリング後進県”愛媛から個人優勝選手を輩出…八幡浜工・栗本秀樹監督【2009年3月30日】



 1990年中盤まで県内でレスリング部のある高校が1校もなく、“レスリング後進県”と言われた愛媛県から、八幡浜工が風間杯全国高校選抜大会の団体戦で3位に入賞。個人戦でも2人が決勝進出を果たし、60kg級の近藤達矢が優勝する殊勲を挙げた。八幡浜工の栗本秀樹監督(左写真)は「11年かかりました。今治工で7年、八幡浜工で4年。やっといい思いができました」と、声を張り上げすぎた影響でガラガラになった声で喜びを表す。

 近藤は団体戦の3回戦で脚を負傷し、個人戦は棄権させようと思っていたという。しかし本人が「やる!」と強い意志を示したのでやらせたという。「勝ってくれて、本当によかった」と言う。

 愛媛県出身のレスリング選手といえば、最近では全日本グレコローマン・チームを支えてきた松本慎吾・日体大コーチが有名。90年代にも全国高校選抜大会でベスト4入りした選手などがいた。霞ヶ浦から引っ張られた選手もいたし、日体大で活躍し1990年に全日本2位になった深水真司選手も愛媛の出身。同じく日体大時代にインカレ3連覇を果たし、1993年の全日本王者、1994年世界選手権日本代表の栗本監督も愛媛県人だ。

 だが、それらの選手は、キッズの今治クラブでレスリングを始め、中学・高校では学校の運動部に属さないでレスリングを続けたか、柔道部に所属しつつレスリングをやっていた選手がほとんど。栗本監督も柔道選手の片手間でレスリングをやっていた選手であり、深水選手は日体大に入学してから初めてレスリングに接した選手だ。

■高校レスリングの歴史は11年でしかない愛媛県

 高校レスリングの歴史は、栗本監督が赴任してからの11年でしかない。「最初は入部させることが大変でした。レスリングを知らない生徒が多く、選手が集まりませんでした。2人の部員でスタートしたんです」と、新興地域でレスリングを始める指導者共通の苦労があった。

 福岡大で活躍していた越智雅史さんや、日体大出身の土居克也さんが地元へ戻って部を立ち上げてくれ、徐々にだが形になってきた。それでも現在、レスリング部のある高校は3校だけ。正式な記録は残っていないが、3校しかない県から全国大会で団体の3位入賞や個人優勝という記録は、そう多くはないだろう。京都・網野や大分・日本文理大付などが出げいこを受け入れてくれ、力を急速に伸ばして、今回の快挙につながった(右写真=60kg級決勝で勝った近藤達矢)

 「(準決勝の)玉名工には勝てましたよね」と、チームスコア3−1からの逆転負けが残念そうな栗本監督。その思いは、インターハイへ向けての新たな闘志でもある。「団体は優勝! 個人では2階級制覇を目指してがんばります」という一方、愛媛県のレスリングの発展にも光が見えてきた。「松本が引退したので、新たな選手を育てたい」と、第2、第3の五輪選手の育成にも着手する腹積もりだ。

(文・撮影=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》