【特集】ダウン症を持つ人のレスリング大会がスタート…障害者へも門戸を開けたレスリング界【2009年3月19日】



 3月14日、神奈川・横須賀市で行われた関東少年横須賀大会で、日本で初めてダウン症の選手による大会「第1回ダウン症者レスリング大会」(右写真)が併設された。2クラブから8選手の参加。ダウン症を持つ人相手のレスリング教室の創始クラブ「ワクワクレスリング教室」(太田拓弥代表)が、都合により約20選手の部員のうち5人のみの出場だったため、出場選手は少なかったが、レスリング界が障害者へも門戸を開いた価値ある大会だったといえる。

■アトランタ五輪銅メダリスト、太田拓弥さんが4年前に手がける

 ダウン症とは先天性疾患の一種で、知的、身体的発達・成長に遅延などが伴う症状。1000人に1人の割合で生まれており、決して珍しい病気ではない。適切な医療と療育および教育によって症状を緩和し、社会人として立派に働いている人も少なくないが、障害者に対する偏見は消えていないのが現状だ。

 こんなダウン症者を、レスリングによって鍛え、生きる希望を持ってもらおうと立ち上がったのが、1996年アトランタ五輪フリースタイル74kg級銅メダリストの太田拓弥さん。5年前、ダウン症のわが子を描いた手記「たったひとつのたからもの」(著・加藤浩美=2004年に松田聖子主演でドラマ化)を読んで感動し、実際にダウン症の子に接したことに始まる。

 早大のコーチとしてトップ選手の育成に情熱を注いでいる太田さんだが、それだけを考えているわけではない。レスリングのすばらしさを多くの人に知ってもらおうと、キッズ・クラブの運営も手がけており、すそ野を広げる努力もしている。

 レスリングによって体が強くなり、前向きに生きることができるようになった−。レスリングによって一人で困難と闘う精神力がついた−。こんな例はいくらでもある。ダウン症の子を見て、「この子たちにレスリングをやらせたらどうか?」と思った。社会の偏見に対して肩身の狭い思いをしている子にレスリングを教えれば、前向きに生きてもらえるのではないか、という思いで、2005年7月、6人のダウン症を持つ子を相手に教室を開いた(左写真=教え子の試合を見守る太田さん)

■保護者からは「明るくなった」と感謝の声

 不安もあった。ダウン症の子の体力は一般の子より弱く、頚椎(けいつい)がレスリングをやるに耐えられない子もいるという。そんな子ども達がレスリングをできるものかどうか。だが、やってみないことにはその結果は分からない。やってみたところ、普通の子と変わらないような運動をこなす子もいた。最初はそれほどではなくとも、やっていくうちに、みるみるうちに体力がつく子も。

 「ダウン症の子は体力が弱い」という固定観念があるせいか、親が運動をやらせないケースが多く、肥満の子が多いのが傾向だという。段階を追って練習していくことで余分な脂肪がとれていくケースも。

 ふだんの練習は一般の子と別々にやっているが、合宿などで交流することもあり、「上級生がダウン症の選手の指導を熱心にしたりして、コミュニケーションをしっかりとっています」。もちろん、絶対に偏見をもっては接させない。こうした交流が、ダウン症の子の気持ちをどれだけ明るく変えていることか。保護者から「明るくなった」と感謝されることが多く、うれしく、やりがいを感じることが多いという。4月からは月に1〜2回は合同練習をやることを決めた。交流がいっそう活発になりそうで、ますます発展していきそう。

■後輩の頼みで引き受けた大楠ジュニアの船生代表、今では「やってよかった」

 今回、初めて「大会」という形で試合ができたのは、太田さんの気持ちに賛同し、ダウン症の子相手のレスリング教室をスタートさせたチームがあるからだ。それが、太田さんの日体大時代の1年先輩の船生知成(ふにゅう・ともしげ)さんが運営している神奈川・大楠ジュニアレスリングクラブ。昨年9月、太田さんが特別コーチとして指導しに来てくれた際、ダウン症の子の指導もやっていると聞かされた。

 学生とキッズの指導で手いっぱいだと思っていただけに、「なんで、そこまでしてやるのかな?」というのが、その時の気持ちだった。「ダウン症を持つ子に特に関心があったわけではない。でも、なぜ太田コーチがそんなにまでしてやるのかな、ということに関心が出た」という。そこに「先輩もやってください」と頼まれ、それに応えることにした(右写真=ダウン症者大会でレフェリーを務める船生さん)

 けがとかの心配はあったが、「考えると怖くなってできない。あまり深く考えずに、とにかくやってみよう」と思い、約2ヵ月後、太田さんのほか、北京五輪銅メダリストの湯元健一選手(日体大助手)も来てくれ、6人の選手を相手に指導が始まった。

 「ワクワク教室」と違い、一般の選手と一緒の練習だ。「思っていた以上にできるんです。技を教えて、練習が2週間空いても、それでも教えたことがきちんとできます。教えていないことをやる選手もいるんです」。ダウン症の子の体力の強さは想像以上だった。一般の選手にとってのメリットもある。「上級生に指導させますが、他人に教えることでレスリングを覚えてくれます。何よりも、他人に対しての優しさが出てきました。想像以上というか、想像していなかったプラスがありました」と、この4ヶ月間を振り返る。

 けがをさせないためにダウン症の知識を学び、個々の選手の体力に合わせた指導をするなど神経を使うことは多い。しかし「親には感謝されますし、今は『やってよかった』という気持ちです。ぜひ広めたいと思っています」と言う。船生さんの大学時代の同期で、プロレスラーの永田裕志さんも大きな関心を示してくれているという。人気プロレスラーの全面支援を受ければ、もっと発展していくことだろう。

■「ワクワク教室」と京都八幡ジュニアとで対抗戦が2度開かれている

 今回の大会は、船生さんの熱意に横須賀レスリング協会の大久保忠光さん(横須賀ジュニア元代表=左写真)が応えたからこそ実現したものだった。大久保さんは「いいことだと思って引き受けました。11月の横須賀市民大会でも実施しますが、その前にこうして紹介することができ、よかったと思います」と言う。「正しい知識を身につけることで、理解につながる」と話し、こうした試みによって「ダウン症者に対する偏見をなくしていければいい」と言う。

 ダウン症者のレスリング教室は、国内にもうひとつ、京都・八幡ジュニア教室がやっている。太田さんと大学時代の同期生の浅井努代表は京都・京都八幡高校の監督も務め、同地域に一貫強化体制をつくり、昨年の全国高校選抜大会で公立高校にして団体優勝の快挙を成し遂げた名監督だ。

 同校は、敷地内に特別支援学校が設立されることになり、小田垣勉校長が障害を持つ子ども達にスポーツをやらせることに、ことのほか理解がある。太田さんが浅井監督に話をもっていき、小田垣校長とも会ったところ、「話がすんなりいきました」という。一昨年、昨年と9月に岐阜・高山市のマイスポーツ・クラブに両チームの選手が集まり、対抗試合(高山オリンピック)を実現した。今回の大会には距離的な問題もあって参加しなかったが、11月に予定されている横須賀市民大会には、「ぜひ参加してほしいですね」と言う。
 
 今年は富山でもダウン症の子のレスリング教室が開設されるそうで、全国展開もスタートしそう。太田さんは「やりたい、というところがあれば、いろんなサポートはするけれど、『何が何でも』とは頼みません」と言う。こうした福祉は、自発的に発生するのが理想であり、そうでなければならないと思っているからのようだ(右写真=時に学生の大会並みの大声を張り上げる太田さん)

■目指せ! スペシャルオリンピックスの種目入り

 スポーツはあらゆる人達に門戸を開放してしかるべきものである。人種や民族、男女のみならず、障害のあるなしにかかわらず、だれもがその喜びと充実感を享受できるものでなければならない。パラリンピックの隆盛を見ても分かるとおり、障害者への門戸は世界的に開かれているが、レスリングはパラリンピックで実施されておらず、知的障害者の大会であるスペシャルオリンピックスでも採用されていない。障害者に対する普及の面では大きく遅れをとっている。

 レスリング界にも、障害を持っていても輝ける舞台がなければならない。そうでなければ、世界の一流スポーツにはなりえない。ダウン症の子がレスリングの世界チャンピオンになって胸を張れる日を、ぜひとも実現してほしい。

(文・撮影=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》