【特集】日本レスリング界の屈辱を払しょく! 長谷川恒平(福一漁業)が値千金の金メダル【2009年2月15日】



 1週間前にトルコで行われた「ヤシャ・ドク国際大会」で金メダル2個を獲得。幸先いいスタートを切った男子フリースタイルの全日本チーム。グレコローマン・チームも負けじとばかりに奮戦し、55kg級の長谷川恒平(福一漁業)が金メダルを獲得。両スタイルそろって新生全日本の強さを世界に見せつけることになった。

 初戦で2年連続世界ジュニア王者のアレクサンダー・コスタディノフ(ブルガリア)を破り、決勝ではコスタディノフが取ってきた五輪出場権を奪い取って北京のマットに立ち8位に入賞したベネリン・ベンコフ(ブルガリア=2006年世界5位)に快勝。2人の地元強豪選手を破っての優勝は、価値ある優勝といえるだろう。

■スタンド戦が1分30秒となり、チャンスが広がった!

 勝ったあと、日本選手団が陣取る方向に向かった大きく両腕を掲げ、全身をつかってのVサイン。2006年の「デーブ・シュルツ国際大会」の銀メダル、昨年のアジア選手権の銅メダルを上回る初めての国際大会優勝に、試合直後は素直に喜びを表し、日本選手団の声援に呼応した(右写真)

 グレコローマンのルールが変わり、どの選手にも戸惑いがある中での大会だった。しかし長谷川はスタンド戦を得意にする選手であり、スタンド戦が1分から1分30秒に伸びたことは歓迎することだった。「チャンスだと思って積極的に仕掛けていきました」という。

 それが出たのが初戦の第2ピリオド。一本背負いが2度決まり(左写真)、相手に傾きかけた試合の流れを取り戻し、自分のペースに持ち込むことができた。「デフェンスがしっかりでき、返さなければならないところで返すことができた。合宿の成果を出せたと思います」と振り返った。

 しかし優勝の喜びを感じたのはほんの一瞬だけの様子だ。「出場している選手がそんなに多くないですから…」と満足度は高くはない。決勝の相手は北京五輪8位ということを聞かされても、「オリンピックは出るのが大変ですから」と乗ってこない。

 「まだ足りないことばかり。反省することが多いです」と話し、この優勝に気をゆるめることなく上を目指そうという気持ちがありあり。2回戦で対戦した国内のライバルの峯村亮との試合は、全日本選手権に続いてまたも大接戦。気持ちを引き締め続けねばならない状況でもあり、練習の一環としての大会出場での優勝に、手放しで喜ぶわけにはいかない。

■成長の源は、北京五輪を観客席から見なければならなかった悔しさ

 元木康年監督(自衛隊)は「北京五輪の予選に出場しながら勝ち抜けず、練習パートナーという形で北京へ向かった。悔しかったと思う。その気持ちをバネにやってきたのが、この結果だと思う」と、成長の源は北京五輪を逃した悔しさだと分析する。

 チームのリーダーとしての行動が出てきていることにも、成長の証を感じるという。「強くなる選手は自然にそうしたものが出るんですよ。松本慎吾しかり、笹本睦しかり。今の長谷川にはそんなムードが出ています」。

 謙虚さの中にも、はっきりと芽生えている自信。この2つがしっかりとかみ合っていけば、グレコローマン・チームの大黒柱になる日がすぐにやってくることだろう。

 大会が行われたバルナは、1991年に世界選手権が行われた地であり、会場も今回と同じ体育館だった。その時は、五輪と世界選手権で続けていたメダル獲得の歴史がストップし、「32年ぶりにメダル0」という大会になってしまった。そのつまずきから立ち直ることができず、翌年のバルセロナ五輪では、五輪の金メダル獲得の伝統が途切れてしまった。バルナは、日本レスリング界にとって“屈辱の地”なのである。

 当時6歳で、その事実を知るはずもない長谷川にそのことを教えると、「そうなんですか。金メダルを取れてよかったですね」と笑った。過去を知らない世代の選手により、暗い歴史が払しょくされた。2012年ロンドン五輪での金メダル復活へ向けての歩みは、“屈辱の地”バルナから力強くスタートした。

(文・撮影=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》