【特集】28歳で全日本チーム初参加、ロンドン五輪出場を目指す谷岡泰幸(男子グレコ60kg級=自衛隊)【2009年2月6日】



 1980年生まれのプロ野球選手は通称“松坂世代”と呼ばれている。米大リーグ・レッドソックスの松坂大輔投手を筆頭に、優秀な選手が多数いることからつけられた世代名だ。レスリング界でも1980年生まれ(1981年1〜3月生まれを含む)は当たり年だ。

 北京五輪男子フリースタイル55s級銀メダリストの松永共広(ALSOK綜合警備保障)、世界選手権に5度も出場し日本中量級のエースとして活躍した小幡邦彦(ALSOK綜合警備保障)、北京五輪男子グレコローマン96s級代表の加藤賢三(自衛隊)、松永とし烈な日本代表争いを繰り広げた2006年世界選手権代表の田岡秀規(自衛隊)、2007年アジア選手権男子フリースタイル60kg級銀メダルの大館信也(自衛隊)…。女子でも、世界V4の山本聖子、世界V6で国際試合無敗の坂本日登美(自衛隊)と有名選手が名を連ねる。

■高校2年生途中からレスリングを始め、3週間後に国体山口県予選を突破

 山本聖子が現役復帰を表明したものの、昨年で小幡、加藤、坂本が引退を表明。田岡や大館も全日本王者に手が届かず、12月の天皇杯全日本選手権では世代交代が如実に進んだ。チャンピオンの最高年齢は27歳の長島和幸(クリナップ=男子フリースタイル74kg級)。そんな若返った中で、男子グレコローマン60s級で準優勝し、ナショナルチームに初招集された28歳がいる。自衛隊の谷岡泰幸だ(左上写真、右写真=全日本選手権決勝で見せたブリッジのきいた見事なガッツレンチ)

 レスリング界の“松坂世代”は、いずれもキッズレスリングや柔道などの格闘技をベースに英才教育を受けてきた選手ばかり。谷岡は「田舎の中学校だったので、選ぶほど運動部がなかった」と、小学校でサッカー部、中学校でソフトテニス部、高校で再びサッカーを始めた選手だ。高校2年で学校が統合されてサッカー部が廃止。その時に、存続していたレスリング部に入部。わずか3週間、タックルのみの練習で山口県の国体予選に出場した。

 超初心者にもかかわらず予選を突破し、神奈川国体では5位。その活躍が、徳山大学の守田武史監督の目に留まった。「特待生として徳山大でレスリングをやらないか」。その一言で本格的にレスリングの道に進むことになった。自衛隊に入ったのは、大学時代の韓国遠征で自衛隊の宮原厚次監督からスカウトされたから。レスリングを始めたことで、大学進学と就職とすんなりと決まった。「レスリングがあって、今の自分があります」と、谷岡は競技への感謝の気持ちは半端ではない。

■「あしたのジョー」みたいに、燃え尽きるまで闘う!

 自衛隊の同期の加藤は念願の五輪に出場した。坂本は10月の世界女子選手権を自分の五輪と思って有終の美を飾った。20年以上レスリングに携わっていれば、「十分に燃えた」という気持ちになってもおかしくはない。谷岡のキャリアはその半分程度。北京五輪を境に同期が引退していく流れで、谷岡も一般自衛官になるための試験を受験したが、「まだレスリングをやりたい」という気持ちが消えなかった。

 「みんな、きれいな終わり方だったけど、オレは、まだ何もやり遂げていない。今まで積み上げてきたものがない」と悟り、「『あしたのジョー』のように燃え尽きるまでやりたいです」と現役続行を決めた。

 谷岡のこれまでの成績は、社会人の大会では安定した活躍を見せ、海外での経験もある。昨年12月に全日本2位と結果を残せたことで、「まだ進化してます。伸びしろはあると思う」と海外遠征にも前向きだ。自身のセールスポイントは「何でも器用にこなせること」。だが、周囲から“技の100円ショップ”と言われてしまうように、一つひとつの技にパンチ力が欠けているところが欠点のようだ。今後は、「谷岡と言えばコレ」という代名詞になる技の獲得を目指す。

 「まだまだ若造には負けません!」−。谷岡がナショナルチーム最年長、そして、松坂世代の“しんがり”として世界に挑む(左写真=全日本合宿で汗を流す谷岡)

(文=増渕由気子)


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