【特集】都立高校に40数年ぶりにレスリング部が復活!…葛飾商業高校【2009年2月3日】



 都立高校にレスリング部が復活した。1月31日〜2月1日に東京・駒沢体育館で行われた関東高校選抜選手権大会のフリースタイル66s級に、創部1年目の都立葛飾商高の富岳祐太選手がマットに立った。セコンドには同好会時代の2006年から指揮をとる本田貴臣監督(右写真:本田監督=左=と富岳選手)

 記念すべき1回戦は、2007世界銀メダリストの笹本睦選手(ALSOK綜合警備保障)の母校でもある向上高の植北功選手。今大会、団体で3位に入賞した強豪校の選手を相手に富岳選手は1ポイントを奪うなど善戦。敗れはしたものの、部の新しい歴史をスタートさせ、本田監督の表情は満足気。約3年かけて選手を育成し、ようやく関東の大会に選手を送り込むことができたからだ(左下写真:部初の関東選抜大会のマットで闘う富岳選手=赤)

 本田監督は千葉・八千代松陰高〜青山学院大でレスリング部に所属。当時、青学大は1996年アトランタ五輪出場の三宅靖志監督を迎えて3年目で、発展途上の真っ最中。1988年ソウル・92年バルセロナ両五輪出場の西口茂樹コーチ(現部長)を迎えたばかりの拓大と合同練習することが多く、少数精鋭の青学大にいながら練習相手は不足なしだった。

 本田監督の世代はグレコローマン選手の当たり年。拓大に行けば豊田雅俊(後にアテネ五輪代表)、平井進悟(後にアジア選手権代表)、飯室雅規(後に世界選手権代表)、その後プロ格闘家に転身する須藤元気・現拓大監督らが在籍。その中で本田監督も力をつけていき、大学4年生(1999年)の時の全日本大学グレコローマン選手権58kg級で5位入賞を果たした。

■北京五輪のレスリングの活躍も本田監督を後押し

 レスリングとともに歩んできたからこそ、社会人になると、「レスリングに恩返ししたい」というモットーを貫きたかった。同校に赴任すると、都立高では40数年ぶりというレスリング部創設に動いた。だが、新人教師が部を創設するという前例がないことで、プロジェクトは簡単に進まなかった。約1年間、学校側を説得し、教師2年目にレスリング同好会としてスタートできた。

 選手は素人ばかりだ。固定の練習場もなく、さらに同校が定時制を併設していることから、定時制の体育の授業が始まる17時までの短い間に体育館の一部に体操マットを引いて練習を積み重ねた。

 その努力が認められ、昨年の4月に正式に部としてスタート。北京五輪の活躍でレスリングに対する周囲の対応も変化したそうだ。生徒たちには、浜口京子や吉田沙保里はもちろん、須藤元気のネームバリューは抜群。「レスリングの話題に生徒たちが食いついてくる」と本田監督はうれしそうに話す。須藤監督とは、昨年12月の天皇杯全日本選手権で、お互い新米監督の立場で再会。監督業を互いに頑張ることを約束し合った。

■創部1年目で東京予選を勝ち抜いた

 学校内のレスリング部の地位が上がったことで、強化にもつながった。創部1年目で2年生の富岳が東京都予選を突破。晴れて、今回の関東選抜大会に選手を送り込むことができた。

 現在の部員は3年生が3人、2年生2人、1年生0人。推薦制度が皆無な都立高だけに、本田監督は「近隣の中学校にレスリング部を立ち上げたと手紙を送ったりしました」と新人部員の獲得に奔走(ほんそう)する毎日を送る(右写真:試合を待つ富岳選手と本田監督)

 都立ながら葛飾商高は野球の強豪校として知られている。帝京、修徳など超強豪がひしめく中でベスト16の成績を出したこともある。「野球部目当てで入ってくる(身体能力が高い)男子生徒が多いんです」。その野球少年たちに、いかにレスリングの魅力を伝えて勧誘できるかが本田監督としての腕の見せ所だ。商業高校のため、女子生徒の割合が多いことについて、「やりたいのであれば、入部可能です」と本田監督は女子部員も歓迎モードだ。

 本田監督の尽力で、関東選抜大会のマットに都立高のシングレットが戻ってきた。次の目標は6月の関東大会。そこでの1勝が、本田監督の次のでっかい目標だ。

(文・撮影=増渕由気子)


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