【特集】“長谷川政権”に「待った」をかけるたたき上げ選手…男子グレコローマン55kg級・峯村亮(神奈川大職)【2009年1月22日】



 グレコローマン55kg級―。日本が得意とする軽量級にありながら、昨年の北京五輪では出場権を取れなかった階級だ。2004年アテネ五輪では豊田雅俊(警視庁)が出場。その豊田は2002年から日本代表を務め、この階級の第一人者だったが、北京五輪予選第2ステージ(セルビア)を最後に引退した。

 後継者として“新政権”を奪取したのは長谷川恒平(福一漁業)。2007年の天皇杯全日本選手権、昨年6月の明治乳業杯全日本選抜選手権、9月の国体と勝ち続け、12月の全日本選手権では2連覇を達成。国内の主要タイトルをすべて制して、55kg級のエースに成長した。

 しかし、その長谷川政権に“待った”をかけようとする選手がいる。大分国体、全日本選手権ともに準優勝の峯村亮(神奈川大職=左上写真)だ。長谷川とは学生時代から切磋琢磨してきた間柄だが、峯村は高校時代からのエリート選手・長谷川にはまったく歯が立たなかった。

 それでも、社会人1年目の2008年は峯村が大きく成長した年だった。以前はあっさりと負けていた長谷川に、12月の全日本選手権では3ピリオドともテクニカルポイントを取られることがなく、ボールピックアップの優先権によって勝負がついた五分の試合を展開。「いままで第3ピリオドまでもつれることがなかった。優勝したかったです」と、少しだけうれしそうに振り返った(右写真=全日本選手権決勝で長谷川と闘う峯村)

■元世界選手権代表に2連勝したことが自信に

 峯村の成長には二つの要因がある。一つ目は環境の変化だ。神奈川大卒業後は、大学に職員として就職。教務課で学生の成績や履修の管理を行っている。同大学で職員が仕事をこなしながら現役選手を続けることは前例がなく、戸惑うこともあったが、職場の応援もあり、「仕事と競技のメリハリがついています」と、充実したレスリング活動ができている。

 二つ目は、元世界選手権代表の村田知也(三重・久居高教)に勝ったこと。村田は北京五輪までグレコローマンを支えた笹本睦(60kg級・ALSOK綜合警備保障)と松本慎吾(84kg級・一宮運輸)の日体大時代の同期生で、2001・02年には世界選手権に出場している実力者。国体も2007年までに5回も優勝しており、長谷川もこれまでに勝ったことがない。その村田に、国体(準決勝)、そして全日本選手権(1回戦)で2連勝したのだから、大きな自信となったはずだ。

 国体ではギリギリでローリングを決め、村田からテクニカルポイントを奪っての勝利。第1シードの長谷川以外はすべてフリー抽選となった全日本選手権では、初戦で村田と対戦することになった。第1ピリオドは村田のテクニックに屈して落としてしまったが、第2ピリオドからはローリングが何度もさく裂。「普段は66kg級の選手と練習している」というディフェンスもしっかり決まって、理想的な試合展開でベテラン・村田に世代交代の引導を渡した。

■海外での活躍も十分に狙える

 優勝はできなかったものの、全日本2位ということで2月には2年ぶりとなる冬の遠征に参加することが決まった。ここで峯村はさらなる飛躍を目指す。2年前は、一線級の選手がドーハ・アジア大会の後ということで海外遠征を免除され、若手で遠征を実施。峯村も選出されての出場だった。身長171cmと恵まれた手足の長さを生かしてアクロポリス国際大会(ギリシャ)ではアテネ五輪の銅メダリストに勝利するなど、結果を残した。

 当初は、ロシアなどは国名だけで「強い」と思っていた峯村だが、「その大会に出てきたロシアは思ったより弱くて、やってみないとわからないなと思いました。外人はすぐバテますし」と、海外でもやっていけることを学んだ。2度目の海外遠征の目標は、「ハンガリー国際大会の優勝」だ。

 峯村の課題は恵まれた体格に身体能力が追いついてないところ。全日本合宿での体力測定で、30秒間の腹筋3セット(インターバルは30秒)で一度も30回を超えられなかった。しかも3セット目は12回と、1セット目の半分ほどの数字。「もう少しはできるかと思った」とうなだれた。だが、自分のウィークポイントが明確になり、「所属で鍛えなおします」と課題を克服することを約束してくれた(左写真=全日本合宿で練習する峯村)

 北京五輪のマットに立つことができなかったグレコローマン55kg級。2012年ロンドン五輪に向けて、峯村が日本を背負うレスラーを目指す。

(文=増渕由気子)


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