【特集】北京五輪の取材記者が出場…ケネス・マランツさん(東京・フィギュア・フォー・クラブ)【2009年1月19日】



 全日本マスターズ選手権に、全日本選手権などでは取材する側で会場にいる新聞記者が出場した。「THE DAILY YOMIURI(ザ・デイリー・ヨミウリ)」のケネス・マランツさん(左写真)。北京五輪の取材団にも選ばれたらつ腕記者で、B(41〜50歳)74kg級に出場した。結果は、2週間前に痛めた左わき腹の影響もあり、約1分でマットを去るはめに。「100パーセントの状態なら。もう少しいい試合ができた」と残念そう。

 米国時代のリビングストン高(ニュージャージー州)時代に州3位の成績があり、ウィテンバーグ大(オハイオ州)でもレスリングをやっていた。1983年に来日。笹原正三・前日本協会会長が運営していた「体力つくり教室」でレスリングをやり、86年に大田区大会で優勝。87年には全日本社会人選手権に出場した経験を持つ。

 88年に読売新聞社に入社。記者という仕事は勤務時間が不規則で、そのためレスリングをやることから遠ざかってしまい、取材で接するだけになってしまった。しかし昨年、2人の子供を近所にできた「フィギュア・フォー・クラブ」に通わせることになり、自らも選手の父親たちと練習をする機会を得た。

 「初心者が多いこともあった、勝てたんですよ」。子供たちはレスリングの水が合わずにマットを去ったが、闘争本能に火がついた自らは残り、22年ぶりの大会参加となった。

 左わき腹痛は「寝返りもうてないほどきつかった」とのことで、大会の棄権も考えたそうだ。しかし計量をパスし、1回戦は相手が棄権してくれて勝ち上がったので、「せっかくだから出てみよう」と出場を決意。 タックルで攻めるなどしたが、テークダウンを奪われ、ガッツレンチでわき腹を絞められたあと、棄権を申し出た(右写真=負傷棄権で勝利ならず)

 「カレッジ・スタイルをやっていたので、(同スタイルのポピュラーな技の)スイッチとかやってやろうと考えていたんです。でも、痛くて何もできなかった。ろっ骨を折らないで、って思った」。その瞬間は出場を後悔したようだが、治療を受ける頃になると、冒頭の「100パーセントの状態なら。もう少しいい試合ができた」とのコメント。悔しさがあるようで、来年はリベンジマッチか?


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