【年始特集】中京女大から至学館大へ! 女子レスリング最強軍団の過去・現在・未来(4)完【2010年1月5日】

(文=樋口郁夫)

第1話 第2話 第3話


 2000年の坂本日登美(当時2年生=現自衛隊)の世界チャンピオン奪取を皮切りに、シニア、ジュニア、カデットの各分野にわたって強豪を輩出。世界最強の女子レスリング軍団の道を確実に歩み始めた中京女大。ここで栄和人監督が直面した難敵は、同じ階級に複数の強豪選手が在籍したことの対処の仕方だった(右写真=1階級に数選手が在籍する中京女大)

 自らの在籍した日体大も、練習に来ているOBを含めれば同じ階級に強豪が3、4人いて、同じ道場で練習して競っていた。監督が自分には振り向かず、ライバルに頻繁に声をかけていても、どうとも思わなかった。「監督が若い選手、あるいは未熟な選手に、よりたくさんの声をかけるのが当然」と考えていた。

 女性の受け止め方は違う。ほぼ同じくらいの実力のAとBがいて、実力はAの方がわずかに上、Bに目につく欠点があったとする。監督はBの方により声をかける。するとAが「なぜ私を見てくれないの? 私は期待されていないの?」と考えてしまうという。場合によっては選手との信頼関係が崩れてしまう。

 指導者の目から見て、明らかにこちらの選手の方が世界に出た時に勝てる、あるいは、こちらの選手の方が伸びる要素を持っている、と感じるものはある。だからといって、同じ教え子でどちらかをひいきして指導することはない。それが伝わらない。自分では公平に指導しているつもりでも、神様ではないのだから、知らず知らずのうちに偏りも出てしまう。ねたみが渦巻いたり、足の引っ張り合いのような事態もあったのが現実だ。

■難関を乗り越え、アテネ五輪、ドーハ・アジア大会、北京五輪で不滅の金字塔を樹立

 「一切指導しなければ問題は起こらないんだ、と投げ出したくなることもありましたよ」。しかし、世界にはばたいてほしい選手の欠点が見えているのに、何も指導しないわけにはいかない。「結局、信念を貫きました。特定の選手をひいきして指導しているんじゃないって信念を。それがあったから、中京女大の今があると思います」。

 昨年1月に名古屋市で行われた怜那夫人との結婚披露パーティーには、五輪代表選手壮行会の時以上のOGが集まり、2人の門出を祝福した(左写真)。この事実は、栄監督の信念が選手たちにしっかり伝わっていたから他なるまい。栄監督は、幾多のチャンピオンを育てたことよりも、これだけ多くの女子選手を、これだけ長い期間にわたって率いてきたことの方を「評価してほしい」と言う。

 こうして中京女大の栄光が築かれていった。現役選手が3人出場し「金2・銀1」を取った2004年アテネ五輪、現役1人・OG2人が出場して「金3」を取った2006年アジア大会、OG3人が出場して「金2・銀1」を取った2008年北京五輪。栄監督は「杉山顧問が基礎をつくってくれたからであり、谷岡郁子学長や日本協会の福田富昭会長、高田裕司専務理事ほか、多くの人のサポートがあったから」と、決して自らの手柄にしようとはしない。だからこそ、選手にも強く言っている。「周りの人達への感謝を忘れるな」と(右写真=中京女大の栄光を支えた選手たち)

■女性コーチの存在、専門の食事担当…最高の環境で、最強軍団の栄光を築き続ける!

 これからの栄監督の使命は、至学館大として新たな栄光を築いていくことだ。世界のレベルアップにより、これまで以上に世界チャンピオン輩出が難しくなっているのが現実。そのため、強化にもこれまで以上に力を入れている。

 マット上での強化は言うまでもないが、怜那夫人が公私にわたってチームの面倒を見ているのも強みだ。世界2位・W杯個人優勝の実力に加え、女性ならではの立場や気持ちで選手に接することができる。生活にも万全を期している。大学の近くに合宿所をつくり、前田寿美枝さん(2009年世界選手権男子フリースタイル60kg級代表の前田翔吾選手の母、左下写真)を専門の食事担当として雇い、栄養面でも最高の環境をつくった。

 男の指導者の厳しさだけではなく、女性コーチの存在によって選手の悩みにも対処できる。通学に時間はかからず、最高の食事が用意されている−。栄監督は「これだけの環境は、一朝一夕ではできません。一歩一歩の積み重ね。多くの人の努力の上に成り立っていることを、選手一人ひとりがしっかりかみしめて練習に励んでもらいたいです」と、選手の奮起を促している。

 一方で、バトンを受けた時の杉山三郎氏の年齢を超える今、選手と熱烈スパーリングができる後継の指導者も考えている。「2012年ロンドン五輪が契機かな」。自らは裏方にまわって至学館大を支えていきたいという。それまでに、所属が「至学館大」という選手の世界チャンピオンが誕生するか。

 1988年に中京女大附属高校で産声を上げた世界最強の女子レスリング軍団、中京女大。その名称は消えても、世界の女子レスリング界に刻まれた栄光が消えることはない。それを受け継いでいけるかどうか。この大学のマットで汗を流す選手が中京女大の22年間の歴史を見つめたなら、必ずや奮起してくれることと思う。いや、奮起しなければ、栄光を築いてきたマットに上がる資格はない−。


■中京女大選手・OG選手の五輪・世界選手権成績
階級 選手名 学年、OGは当時の所属 成績 出身高校またはクラブ
1989年 57kg級 坂本 涼子 1 年 2 位 吹田市民教室
1990年 57kg級 坂本 涼子 2 年 3 位 (前出)
1992年 57kg級 坂本 涼子 4 年 優 勝 (前出)
1996年 57kg級 坂本 涼子 中京女大大学院 3 位 (前出)
1999年 68kg級 宮本 知恵 3 年 11 位 茨城・土浦日大高
2000年 51kg級 坂本 日登美 2 年 優 勝 青森・八戸工大一高
62kg級 岩間 怜那 3 年 2 位 岩手・宮古商高
68kg級 宮本 知恵 4 年 3 位 (前出)
2001年 51kg級 坂本 日登美 3 年 優 勝 (前出)
62kg級 岩間 怜那 4 年 14 位 (前出)
2002年 48kg級 野口 美香 2 年 14 位 鹿児島・鹿屋中央高
51kg級 伊調 千春 1 年 2 位 京都・網野高
55kg級 吉田沙保里 2 年 優 勝 三重・一志高
59kg級 岩間 怜那 リプレ化粧品 7 位 (前出)
63kg級 伊調  馨 付属高3年 優 勝 八戸クラブ
2003年 48kg級 坂本 真喜子 付属高2年 5 位 八戸キッズ
51kg級 伊調 千春 2 年 優 勝 (前出)
55kg級 吉田沙保里 3 年 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 1 年 優 勝 愛知・中京女大附高
2004年五輪 48kg級 伊調 千春 3 年 2 位 (前出)
55kg級 吉田沙保里 4 年 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 2 年 優 勝 愛知・中京女大附高
2005年 48kg級 坂本 真喜子 和光クラブ 3 位 愛知・中京女大附高
51kg級 坂本 日登美 自衛隊 優 勝 (前出)
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 3 年 優 勝 (前出)
67kg級 坂本  襟 ワァークスジャパン 7 位 青森・八戸工大一高
2006年 48kg級 伊調 千春 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
51kg級 坂本 日登美 自衛隊 優 勝 (前出)
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 4 年 優 勝 (前出)
67kg級 坂本  襟 ワァークスジャパン 3 位 (前出)
2007年 48kg級 伊調 千春 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
51kg級 坂本 日登美 自衛隊 優 勝 (前出)
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
67kg級 井上 佳子 1 年 5 位 愛知・至学館高
2008年五輪 48kg級 伊調 千春 ALSOK綜合警備保障 2 位 (前出)
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
63kg級 伊調  馨 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
2008年 48kg級 坂本 真喜子 自衛隊 3 位 (前出)
51kg級 坂本 日登美 自衛隊 優 勝 (前出)
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
63kg級 西牧 未央 3 年 優 勝 愛知・至学館高
67kg級 新海 真美 アイシン・エィ・ダブリュ 2 位 滋賀・日野高
2009年 48kg級 坂本 真喜子 自衛隊 8 位 (前出)
51kg級 甲斐 友梨 アイシン・エィ・ダブリュ 3 位 滋賀・八幡工高
55kg級 吉田沙保里 ALSOK綜合警備保障 優 勝 (前出)
59kg級 山名  慧 アイシン・エィ・ダブリュ 18 位 愛知・至学館高
63kg級 西牧 未央 4 年 優 勝 (前出)
67kg級 井上 佳子 3 年 5 位 (前出)

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